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京都地方裁判所 昭和49年(ワ)1290号 判決 1975年9月23日

原告

田中信高

右訴訟代理人

高田良爾

被告

京都府

右代表者

蜷川虎三

右指定代理人

坂本魏

外一名

右訴訟代理人

香山仙太郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(請求の趣旨とその答弁)

原告……(1)被告は原告に五五万円及びその内金五〇万円に対する昭和(以下に於て略す)四九年一一月三〇日より、同五万円に対する第一審判決言渡日の翌日より完済迄年五分の金員を支払え、(2)訴訟費用は被告の負担とする、との判決、仮執行の宣言

被告……主文同旨

(請求の原因)

一、原告は一六年九月二九日生で亀岡市で田中建設の屋号で建築設計施工、室内装飾を主とする建設々計業を営んでいる。

二、原告は四九年一一月一四日二二時三〇分頃(以下すべて二四時制を用う)乗用車(京五一―せ一八四七)を運転して国道一号線を大阪方面から京都方面へ向つて進行中、路上の街路樹に車の左前部を接触させたため、同地点より約一五〇米の地点で停車し、五ないし一〇分間程車両の点検をしていた。

三、そこへ京都府伏見署勤務の警察官二名が来て原告に「酒を飲んでいるのだろう」と申向けたので原告が「私は酒を飲んで酔つていない」と返答したところ、伏見警察署までパトカーに同乗せよというので原告は何らやましいことがなくパトカーに同乗して伏見署に行つた。

四、原告は伏見署の取調室に入れられ、前記二名の警察官より執拗に「酒を飲んでいるだろう」と申向けられたので黙秘していたところ、原告のポケットに手を入れ自動車の鍵を取出し、原告の乗用車から検査証を無断で取出し、原告の住所、氏名、年令を調べた。

五、翌一五日二時頃原告は伏見署地下の留置場に連行されたので「何故私を留置するのか、どのような犯罪を行つたというのか」と問うたところ、何らの理由を告げず留置されることとなつた。留置の直前原告の妻が伏見署に来ていた。

六、同日一四時頃原告は留置場から手錠をかけられたまゝパトカーで事故現場に連行され、約三〇分間の現場検証が終つた後再び伏見署に連行され、その後同署で供述調書が作成された。供述調書には住所、氏名、事実関係がありのまゝ記載された。

七、ところが取調べの際原告は「自分はなぜ留置されねばならないのか、自分には妻子もいるので逃げかくれしない。直ちに釈放してくれ」と申向けたのに、何の理由も告げられなかつたばかりでなく「明日は検察庁に送致する」といわれ再度留置場に入れられた。同日二一時頃弁護人が接見に来た後翌一六日零時一〇分頃釈放された。

八、原告は何ら犯罪を行つていないのであるから現行犯逮捕の要件を具備せず伏見署警察官が原告の身柄を拘束したことは明らかに違法である。

九、仮に原告が乗用車を運転し街路樹に接触したことが道交法七〇条の安全運転義務違反に問擬されるとしても、現行犯逮捕の要件を具備せず、これ又違法である。而も警察官は免許証により原告の住所氏名を知り、原告の妻が伏見署に来ていたのであるから現行犯逮捕の要件を具備しない。

〇、原告に対する本件身柄拘束は憲法上保障された身体の自由を著しく侵害するもので、而も本件の一連の過程は警察官が逮捕の要件を具備していないことを十分知悉していながら原告の法の無知―いわばどさくさに紛れて……を悪用した悪質行為であり、斯様な身柄拘束が当然のごとく行われれば国民の人権は風前の灯となろう。

一一、原告は本件身柄拘束により名誉を侵害されたばかりでなく、肉体的精神的苦痛を被り、それは言語に絶するものがあり金銭には換算し得ないが少くとも五〇万円を下らない。

一二、原告は訴訟進行の技術がないので原告代理人に訴訟を委任し、報酬として京都弁護士会報酬規程の範囲内で第一審判決言渡日の翌日前記債権の一割を支払う旨約した。

一三、よつて原告は被告に請求趣旨の判決を求める。

(被告の答弁と主張)

一、請求原因一のうち、原告の生年月日、亀岡市で建築業をしていることは認めるが他は不知、同二のうち、四九年一一月一四日二二時三〇分頃(但し二二時四三分頃)原告が乗用車を運転して国道一号線を大阪方面から京都市内に向つて進行中の事件であること、原告が自動車を停止させて五ないし一〇分間程車両を点検(但し補修と認める)していたことは認めるが他は争う。同三のうち、パトカーに乗車した伏見署の警察官が事件現場に急行したこと、原告を伏見署へ搬送したことは認めるが他は争う。同四のうち原告を取調べたこと、取調べに対し原告が黙認したことは認めるが他は争う。同五のうち、一一月一五日二時頃(但し二時四五分頃)原告を伏見署の留置場に留置したこと、留置前に原告の妻が伏見署に来ていたことは認めるが他は争う。同六は認めるが留置場を出たのは一三時一〇分頃で現場での実況見分は約一五分間手錠を外して行われた。原告の供述した事実関係は本件事件捜査に必要な全事実関係ではない。同七のうち、取調後引続き原告を留置したこと、一五日二一時一五分頃弁護人となろうとする高田良爾弁護士が出頭して原告と接見したこと、一五日二三時五〇分頃原告を釈放したことは認めるが他は争う。同八ないし一三は争う。

二、原告は四九年一一月一四日二二時四三分頃京都市伏見区下鳥羽城の越町一四二番地先の国道一号線を原告主張の乗用車で大阪市内から京都市内に向つて北進中、車両運転者は車両のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し道路交通、当該車両の状況に応じ他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない道交法七〇条上の義務があるのにこれを怠り歩道上に乗上げ街路樹、道路標識各一本に衝突してこれを損壊するがごとき不確実な運転をなし、以て他人に危害を及ぼすおそれのある運転をした。そこでこの違反事実を現認した第三者が一一〇番申告をなしたので、伏見署の藤井忠巡査外二名がパトカーで現場に急行し申告者及び現場から約一〇〇米北方路上に停車中の原告から事情を聴取するとともに物的証拠をも収集して道交法七〇条の準現行犯と認めた。

ところが原告は事情聴取に当り、事故の発生を認めながら「車が勝手に当つた」などと理不尽な抗弁をなし、又酒臭が認められたので検知を求めたところこれを拒否し、更に運転免許証の提示を拒否し、住所、氏名、事故原因等一切を黙秘して罪責を逃れようとした。こうしたことから、証拠隠滅、逃走のおそれが十分認められたので同日二三時一〇分その場で現行犯逮捕し、パトカーで伏見署に引致、更に取調を行つたが依然として一切を黙秘するので一五日二時四五分頃同署留置場に留置したものでその逮捕留置は適法な手続に基づいており、原告主張のような身柄拘束の違法性はない。

(証拠)<略>

理由

一原告が一六年九月一六日生で建築設計業者であること、四九年一一月一四日夜原告が乗用車を運転して大阪方面から京都市内に向つて進行中一旦自動車を止め五ないし一〇分間車両点検をしていたこと、そこへ伏見署の警察官が来て伏見署へ原告を同行したこと、伏見署で原告の取調があつたこと、原告が黙秘していたこと、翌一五日二時頃原告が留置されたこと、留置前に原告の妻が伏見署に来ていたこと、一五日午後現場で原告立会の上実況見分が行われ、又伏見署で原告の供述調書が作成されたこと、一五日二一時頃原告の弁護人が接見に来たこと、その後原告が釈放されたことは当事者間に争いがない。

二<証拠>に前記争いのない事実を加えると次のことが認められる。

(1)  原告は四九年一一月一四日朝九時頃自宅から職人一人を原告所有の本件乗用車(白色のコロナマークⅡ、京五一―せ―一八四七)に乗せて京都市右京区桂千代原の増改築工事現場に至り職人をおろし、そこから十一時頃亀岡市曾我部町南条の原告の事務所に着き種々仕事上の指示をなした上、一三時頃仕事上の打合せのため大阪市西区京町堀一丁目一五五の安田ビルにある萩尾建設株式会社に向つて出発し一五時頃同社に着いた。同社では社長の萩尾明溢と金銭、金策問題その他仕事上の話をした後一七時頃、原告は前記乗用車に萩尾社長と同社の取締役の秋本博三を乗せて二ケ所程大阪市内の、右社長の用事のある場所に立より仕事をすませた後一八時三〇分頃大阪市北区曾根崎上二丁目一九、国道会館内のスナック和代(経営者岡本和代)に着いた。原告はそれまで昼食もとらなかつた。

(2)  右「和代」方で原告は前記二人とともにビール、酒、水割をのみ、野菜の煮合せその他の食物をたべた(主食はとつていない)が原告が実際に飲んだ酒はビールをコップで四、五杯位日本酒一合半位であつたが正確ではない。原告は当日何か気分がすぐれず沈んだ風であつた。この店では前記秋本が先に去りついで萩尾社長が帰つた後原告は一人残つていたが二一時頃一人で店を出て乗用車に乗り帰宅の途についた。

(3)  原告は「和代」を出た後扇町から阪神高速道路に入り枚方バイパスを通り京都市伏見区下鳥羽城の越町の国道一号線上を走つている時疲れと空腹それに飲酒のため、ねむ気を催し、丁度二二時四五分頃城の越町一四二番地谷口忠一方の前を通過したとき運転を過り同人方前の歩道上にあつた街路樹(近畿地方建設局保管の銀杏木、時価約四万円、但し新しいものを植える時は細いものをあてる、その時価は約一万九〇〇〇円)と駐車禁止、横断禁止を示す道路標識に乗用車の左前部を衝突させ、びつくりしてハンドルを右に切り更に左に切り、衝突地点から約一四〇米北進した吉川商店京都営業所前の道路左側に停車した。

(4)  右衝突の時どかーんという大きな音がしたため前記谷口忠一がびつくりしてすぐ家の前に飛出してみると前記街路樹は地上約1.3米位を残して折れ上の部分が谷口方前の溝蓋付近に飛び道路標識は曲り上の方の標識がばらばらになり自動車のホイールキャップが一個街路樹の根元付近に落ちており原告の車が北上するのを発見したので、すぐ傍の山本勉に一一〇番に急報させるとともに原告の車の行方を見ていると原告の車が前記場所で止まり、原告が車の右側から下車して来た。

(5)  原告の乗用車はこの衝突事故のため左側ホイールキャップ二個が外れ、左の方向指示器が破損し左前部フェンダーが左前輪タイヤに食込み、それがすれて音を出しかつその磨擦で臭いがした。原告は後部トランクから釘抜を出し食込んだフェンダーを離そうとしているところへ報らせを受けた伏見署の藤井忠、山本善右、上田雄治巡査が乗車したパトカーが谷口忠一の指示で原告のもとへ来た。このパトカーが到着したのは衝突後約五分であつた。丁度約一粁先の、同じ国道一号線上をパトロールしていたため早かつたのである。

(6)  このため藤井忠巡査が原告に衝突事故のこと等について職務質問をしたが、原告はこれについて説明しないのみか、「車はわしのやが何も知らん、酒を飲んで運転しとらんから知らん」「酒は飲んだが酔つとらん」「車は勝手に当つたんやろ、わしは寝とつただけや」と述べ運転免許証の提示を求められても「わしは今運転しとらんのに免許証なんか出す必要がない」と拒否し「車は勝手にし、わしは帰るで」と帰りかけたためこれを止めたところ原告は運転席に乗りこみ、リクライングシートを倒してその上に寝ころんだ。そして住所、氏名等についても黙秘して答えなかつた。当時原告からアルコールの臭いがしたので藤井忠巡査らが飲酒検知用の風船を差出したが原告はそれに応ずること及び検知の質問をも拒否した。

(7)  この間上田雄治巡査が谷口忠一の指示により前記街路樹、道路標識を確認したところそれが破損しており、付近に落ちていたホイールキャップ二個、SLマーク一個を採取してきたのでこれを原告の車の各部分と照合したところ一致たので藤井忠巡査は原告を道交法七〇条に違反し同法一一九条一項九号に該当するものと認め、かつその住所氏名が明らかでなく逃走、証拠隠滅の虞れがあり犯行後間がない準現行犯と認め同日二三時一〇分頃原告を逮捕しパトカーで伏見署に連行した。

(8)  翌一五日零時三〇分頃藤井忠巡査から身柄の引渡を受けた同署の柴田和久巡査部長が原告に対し弁解の機会を与え事情を聴取しようとしたが原告は一切を黙秘し弁解録取書に対して署名指印を拒否し又その後原告を取調べた石山皓一巡査部長にも一切を黙秘して供述調書への署名指印を拒否した。石山皓一巡査部長は同署の交通課長村田春雄警部の指揮を受け原告の住居氏名が明らかでなく逃走証拠隠滅の虞があるとして一五日二時四〇分頃原告を同署の留置場に留置した。その前石山皓一巡査部長は外五名の警察官とともに現場に行き一五日零時一〇分から三〇分まで実況見分を行い、第一回の実況見分調書を作成した。

(9)  伏見署の高津善彦巡査は、一四日二三時頃藤井忠巡査らより車両番号により府警本部に本件車両所有者の照会をしてくれとの依頼を受け照会したところ京都市北区衣笠北天神森町八の田中信吾という回答を得たので同住所について居住の有無を確認したところ転居しているとのことであつたため更に府警本部の運転免許課に照会したところ原告の現住所が判明したので電話で原告方へ電話し原告の妻田中富美に原告が同人の夫であるかないかをきき、その任意出頭を求めたところ一五日二時頃田中富美が出頭して来たので溝口兵治警部補が事情を聴取し原告が田中信高であることを確認し供述調書を作成した。

(10)  石山皓一巡査部長は大島孝夫巡査とともに一五日一三時四〇分から同五五分迄原告の立会を求めて現地に行き第二回目の実況見分を実施して調書を作成した。この時原告ははじめて当時、自動車が歩道に乗上げ何かに衝突したショックを感じて意識が戻り、あわててハンドルを右に切りセンターライン近くまで行つた。この付近でタイヤのがたがたする音に気づき道路の左側により下鳥羽城の越町吉川商店京都営業所前で停車したと述べた。

(11)  一五日一四時一〇分頃から石山皓一巡査部長は伏見署交通課に於て原告の取調べをしたが原告は黙秘をやめ、身上関係、事故発生に至るまでの状況、大阪市内で飲酒した事実を供述したが事故直近の状況、身心の状況については明確な供述がなかつた。石山皓一巡査部長は一五日一六時五〇分頃、原告の供述調書を作成して村田春雄警部に引ついだ。

(12)  同日二一時三〇分頃から村田春雄警部が重ねて原告を取調べて供述調書を作成した。原告は同警部に大阪市内で飲酒しいねむりしながら運転していたこと、警官に酒を飲んでいないといつたこと、こういつたのは自分が悪いことをしたと思つたからである。飲酒運転が危険なことは十分知つていた。自分には何か面白くないことがあつた、検知風船をふくらませず、黙つていたのもこのためであると供述した。

(13)  その間伏見警察署の森垣修一巡査は一五日一五時頃から前記目撃者谷口忠一の仕事先である下鳥羽芹川町四二の二城南製作所に於て同人より当時の状況をきき供述調書を作成した。

(14)  同日二一時三〇分頃原告が選任した弁護人の高田良爾弁護士より伏見署に原告の身柄釈放の要請があり村田春雄警部は伏見警察署長の指揮で原告の妻に身柄請をさせ二一時五〇分原告を釈放した。

(15)  原告は本件の送致を受けた京都区検より道交法六六条、一一八条一項三号違反の疑で起訴され五〇年二月三日京都簡易裁判所より同罪名で罰金二万円の略式命令を受けた。

(16)  原告は右簡易裁判所で四〇年六月九日道交法違反で罰金二万五〇〇〇円に、四一年一二月一六日傷害罪で罰金二万円に処せられて確定し、四六年一一月一日酒酔運転のため免許停止三〇日、四八年一二月二四日速度違反のため免許停止六〇日の行政処分を受けたことがある。

以上のごとく認められ、証人田中富美の証言、原告本人尋問の結果中この認定定に反する部分は措信しない。

三以上の認定事実によると四九年一一月一四日夜原告が大阪から自動車を運転して京都へ帰る時の運転状態は過労運転を禁止した道交法六六条に違反し或は同法六五条の酒気帯び運転禁止、同法七〇条の安全運転義務に違反していたのであるから原告が何ら罪を犯していないという原告の主張は当らず、原告が逮捕されたのは当時の原告が刑訴法二一二条二項二号により罪を行い終つてから間がないと明らかに認められたときであるからその逮捕は適法であり、その後釈放されるまで留置されたのは伏見警察署員が刑訴法二〇二条以下の手続に従つて行つたのであるからこれ又適法といわねばならないのでこれを違法だという原告の主張は採用できない。

尤も一一月一五日二時四〇分頃原告が留置場に入れられた時は伏見警察署の府警本部への照会と原告の妻が伏見署に来ていて原告が田中信高であることが確認されていたからその住居氏名が明らかでない場合とはいえず、原告の行為も他人の生命身体を侵害したような行為とは異るから留置しなくとも釈放してよかつたという原告の考えは理解できるが当時原告は警官よりの事惰聴取に応ぜず一切を黙秘し飲酒の検知にも応じなかつたためその証拠収集のため警察官が刑訴法により適法とされる時間原告を留置し捜査を続けたのであつてこれ又違法ということはできない。

尚原告の主張には、留置に当り理由を告げられなかつたことがあるが乙二号証によると前記柴田和久巡査部長は藤井忠巡査から原告の身柄を受けると原告に被疑事実の要旨を告げた上弁解の機会を与えたことが認められるのでこれが原告の身柄拘束の理由の説明を兼ねていると考えられるのでありそれ以上の説明がなかつたとしてもそれは原告が藤井忠巡査、柴田和久巡査部長、石山皓一巡査部長に対して一切を黙秘していたためであると認められるからこれを以て違法とすることはできない。又原告本人尋問の結果によると当初現場へ来た藤井忠巡査らの最初の言葉、応待が気に入らなかつたから黙秘したといつているが原告は街路樹や交通標識を倒すような危険な運転をしたのであり、そのため急を知らせる者がありその事情聴取に来た警察官の言葉が当初から鄭重な言葉でなくともこれを以て違法とか不当ということはできないし現に当時の藤井忠巡査らと原告との応待を見ていた谷口忠一が、「私達は原告が警官の事情聴取に応ぜず、運転台のリクライングシートに寝ようとした態度をみて、原告は一杯やつて運転した人やけしからんもんやと腹立ちを感じた、この反面ぼろくそにいわれても怒らず辛抱してやつている若い警官に感心もした、原告の態度や言葉づかいは私達が思うと人間やないという感じで傍にいた山本勉も腹を立ててあんなやつけしからん、逮捕してやつたらええといつていた」(乙三二号証)と述べている事実によつて当時の状況を知りうるのでこの点に関する原告の不満は当らない。

四以上のごとく原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。 (菊地博)

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